じーさんの思い出

こんにちは、ワーキングマザーのなおこです。

既に他界しているけれど、祖父がいました。父方の祖父と母方の祖父で、母方は割に早く亡くなり離れていたのであまり記憶もないのですが、父方の祖父は10年くらい同居していたので、よく覚えています。

とにかくびっくりするくらいの、クソジジイでした。

同じく同居する祖母(彼の妻)からも

「オジイ!〇ね!」

と怒鳴られているくらい。祖母の昔語りの最後は「今の時代だったら、オジイと結婚せずに済んだのに。」で必ず締めくくられており、ついこの間まで結婚相手を選べなかったんだことをよく覚えています。祖母に毎日何度も怒鳴られても仕方ないくらい根性が悪かった祖父ですが、唯一、よい思い出があります。

それはお祭りのとき。

ケチで滅多に何か買ってくれたことはなかったのですが、たまたまお祭りに二人で行って1000円の小鳥のおもちゃを買ってもらったのです。当時千円札は伊藤博文、しばらく伊藤博文見るたびにじーさんを思い出していたので、よほどうれしかった模様。もし今同じものを娘がねだってきたら買わない自信があるくらい、お祭りならではの代物でしたが、その後家を出るころまで大事に飾っていました。最後は色が抜けボロボロでした。

でもそれは、「これほしい」「よし、買ってやる」で、唯一すっと買ってもらった品でした。

きょうだいがいると、同じにしないと喧嘩になるため、なかなか気楽に買えない。私も娘に「〇〇ちゃんはほしいものを買ってもらっているのに、私は我慢だけ!」と詰め寄られますが、「よそはよそ、うちはうち」と節分みたいなことを言ったり、「あなたの学費のためよ!」みたいな学費最強説を唱えてみたり、子どもの物欲をそらせることに必死です。

しかし私も物欲にまみれていた時代があったな、とふと思い出すのです。物欲は今もすごいありますけども。

私も子供らにたまにはすっとこういう記憶に残る買い物ができたら、と思いつつ、今日も財布のひもは子供らには固めです。自分にはちょっと高い納豆買っちゃった。どうせ子供らも食べるのですが。

その小鳥の飾りものだけは既に実体はないけれど、記憶に残っていてたまに思い出すと切なくなります。残念ながらじーさんは思い出してもぐっと来ないのですが、当時の私がいろいろ悩んでいたんだなぁと思い出す。

まあ、今なら小鳥の置物よりも、おいしい納豆買いますけどね。

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